悪の奥の善を見る

どんな状況にも、どんな人々にも、 「悪」 あるいは 「悲惨だ」以外に言葉が見つからないときでさえ、 その奥には「まったき善」が、隠れているのです。これを奇跡と呼ばずして、なんと呼ぶでしょう? このまったき善は、 「すでにそうであるもの
(現実)を、心から受け入れることによって、 わたしたちの内面と外面の両方に姿を現わします。「悪に抵抗するなかれ」は、人類がもっとも貴ぶべき、真実の一つです。

慢性的な身体的苦痛は、 人聞が持ちうるなかで、もっとも峻厳な教師の一人です。
「抵抗してもムダ」。これが、 その教えです。
「苦痛なんてまっぴらだ」と感じるのは、正常な精神の持ち主であることの証です。
けれども、 その嫌がる気持ちを手放し、痛みをただありのままに放っておくなら、自分の内面で、痛みが自分から分離し、痛みと自分の聞に、 まるでスペースができるような微妙な感覚に気づくでしょう。これは、自発的に苦しむことを意味します。自分の意思で意識的に苦しむとき、身体的苦痛は、 わたしたちの中のエゴを、迅速に燃やし尽くします。 エゴは大半が「抵抗」 でつくられているからです。これは、著しい身体的障害にも当てはまります。
自発的な苦しみは、 「神に捧げる苦しみ」と表現することもできます。

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