「ノー」ということ

知覚と経験のすべてにレッテルを貼る必要など、本当にあるのでしょうか?
すべての状況と人々に対して、「 好 き 」「 嫌 い 」の感情的反応をして、ほとんど休みなく摩擦を起こす必要が、本当にあるのでしょうか?

あるいは、これは、なんらかの方法ーーなにか行動を起こすことによってではなく、「いま、この瞬間」をありのままに受けいれることによって打破することが可能な、深く根づいた思考の習性でしょうか?

習慣性になっているリアクション的な「ノー」は、エゴを強化します。

一方、「イエス」はエゴを弱めます。エゴは「手放すこと」、「放下」に耐えられないのです。

職場への通勤、顧客との対応、パソコンの作業、ショッピング、あなたの日常を構成している、無数の用事を行なうとき、あなたはどれくらい完全にその行動に「在り」ますか?
あなたは、無我の境地でこれらを行なっているでしょうか?それとも、嫌々ながら行なっていますか?実をい
うと、それが、「人生の成功」を決定する要因なのです。人生の成功は、どれだけ苦労するかとは、一切関係ありません。「苦労」は、ストレス、未来にある地点に到達する必要性、あるいは、ある結果を出す必要性を暗示しているからです。
ごくわずかでも、「本当はやりたくないのに」という嫌悪感を、感じることがありますか?それは、人生そのものに対する否定を意味します。人生を否定するかぎり、スピリチュアルな成功を得ることはできません。

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